にいかわ政経懇話会
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にいかわ政経懇話会9月例会
「日本史における『地域』を考える」
【日時】令和6年9月24日(火)正午
【会場】ホテルアクア黒部
【講師】本郷 和人氏(歴史学者、東京大学史料編纂所教授)
【演題】「日本史における『地域』を考える」
にいかわ政経懇話会は24日、黒部市のホテルアクア黒部で9月例会を開いた。歴史学者で東京大史料編纂(へんさん)所教授の本郷和人氏が「日本史における『地域』を考える」と題して講演し、「地域の違いを考えなければ、歴史の本当のところは分からない」と語った。
なぜ「関東」と「関西」と言うのだろうか。関は関所のことで、北陸道を押さえる「愛発(あらちの)関(せき)」(福井県)、中山道の「不破関(ふわのせき)」(岐阜県)、東海道の「鈴鹿関(すずかのせき)」(三重県)の三つの関所の東側を「関東」と言う。
三つの関所の共通の特徴は朝廷のあった奈良や京都の東側にあることだ。奈良時代から平安時代にかけ、朝廷は儀式の際に「関所をしっかり閉めよ」という命令を出していた。悪いやつらは東側にいて、東側の関所を閉ざすことができれば悪いやつらがやって来ない。西側からは来ないという考え方で、大きな意味で国家の形を表している。
このように地域の違いを頭に入れなければ説明できないものが多くある。例えば江戸幕府ができる前、徳川家康は今の東海地方、山梨県、長野県の辺りを治め、石高130万石ほどの領地があった。しかし、豊臣秀吉の命令で関東に移った時に250万石に倍増した。なぜ秀吉は潜在的なライバルである家康を優遇したのだろうと考えがちだが、東京・銀座の1坪と北海道の原野100坪を比較するようなもので、実質的な左遷と捉えるべきだろう。
私たちは小学生の時から、日本は一つの言語を使う一つの民族が一つの国家を形成して長い歴史を紡いできたと教わる。本当なのかと私は思うようになった。
今放送されている大河ドラマの「光る君へ」で源氏物語がクローズアップされている。源氏物語が「世界の宝物である」という考え方に反対しないが、「平安時代を代表する文学である」という捉え方は疑問だ。当時の日本列島の人口は1100万人ほどで、このうち貴族と華族は3千人ほど。源氏物語で「光の君」は今の首相のような高い地位に就くが、政治や経済を回す描写はなく、ひたすら風雅の道と女性を追いかける物語だ。紫式部は民衆の生活に興味がなく、実際に知らなかったと考えるべきだろう。「平安時代を代表する文学」と言っても、圧倒的多数の庶民の姿は描かれていない。
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