北日本四政経懇話会

高岡政経懇話会2019年9月例会

「令和」のこころ

【日時】令和元年9月13日(金)正午~
【会場】ホテルニューオータニ高岡
【講師】坂本 信幸 氏 (高岡市万葉歴史館館長)
【演題】「令和」のこころ
 高岡政経懇話会の9月例会が13日、高岡市のホテルニューオータニ高岡で開かれ、高岡市万葉歴史館長の坂本信幸氏が「『令和』のこころ」と題して講演した。新元号の典拠になった万葉集の巻五「梅花の宴」の序文や、「梅花の歌三十二首」が詠まれた背景などを解説し、令和に込められた意味を語った。

◇戦争・災害ない時代に
 典拠となったのは、大伴旅人が書いた梅花の歌三十二首の序文の一節「初春令月 氣淑風和(初春の令月にして、気淑(よ)く風和(やはら)ぐ)」。中国の書家・王羲之(おうぎし)の書いた「蘭亭集序」と、中国の古典「文選(もんぜん)」に載る張衡(ちょうこう)の「帰田賦(きでんふ)」を参考にしているとされる。文選は全国的に読まれていた膨大な書物で、当時の貴族たちの教養書だった。旅人もそれらを覚え、頭の中にたくさんの言葉が入っていたはずで、その引き出しから文章をつづったと考えていい。
 元号が発表されたとき、「令色」の「こびて人の意を迎える」という意味から、「『令』はよくない」と言う識者がいた。文選の注釈書を見ると、「令善也」とある。古い用例でなく、運用された用例をその語の基本的な意味と捉えてはいけない。「令」が悪い意味を持つことは決してない。
 巻五の冒頭は旅人の漢文序と短歌「世間(よのなか)は空(むな)しきものと知る時しいよよますます悲しかりけり」から始まる。妻を亡くすなど不幸が続き、悲痛の思いの中で生まれた歌だ。
 その「悲し」の対極にあるのが「楽し」であり、旅人は妻を亡くし悲しみを深く知った後、意識的に「楽し」を含む歌を詠んだ。多くの悲哀を機に、「楽し」の世界こそが旅人の余命の中で求めた世界だった。
 旅人が梅花の宴を催したのは、政争から離れ、文雅の遊びを楽しむことが目的だった。旅人の楽しく生きていこうという意欲の中で序文が書かれ、梅花の歌が詠まれている。序文の背景を考えたとき、その表現を基に令和が生まれたのはめでたいことで、その語の持つ意味の通り、戦争や災害のない和らぐ時代であることが望まれる。

◇交代会員を紹介
 交代会員として、山口伸一高岡ケーブルネットワーク社長と塚田修司北陸電力高岡支店長が紹介された。

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